長生園(淡窓墓地)

(概要)                                せ
広瀬淡窓は生前、広瀬本家とは別に自らの墓地を生家広瀬邸と成宜園の、ちょうど中間に撰ん
で長生園と名づけた。国の指定史跡である。

(文献)
 広瀬淡窓墓(長生園)中城町
 広瀬淡窓は生前、広瀬本家とは別に自らの墓地を撰んで長生園と名づけてあった。生家広瀬
邸と成宜園の、ちょうど中間の地にあり、淡窓一門がここに眠る。墓地の奥に、数基の墓が南面し
て並んでおり、中央が「文玄広瀬先生之墓」と刻まれた淡窓の墓である。両側に「文敏」旭窓、「文
通」青郁、「文靖」林外、「文囲」濠田の各先生、夫人たち、天折した子どもたちの墓が、淡窓墓に
添うごとく建っている。
 墓地の北西隅にある「文玄先生之碑」は、淡窓が自ら撰文し、没後旭窓の書によって建てられ
た墓碑である。その末尾に「我が志を知らんと欲せば我が遺書を視よ」と淡窓は云っている。
成宜園の東北300mにある。以前淡窓の弟三右衛門の別事長生園があった。

 昭和23年1月14日 国史跡指定
出典
日田市史