竜体山の舟つなぎ石

(概要)

 東西に長い山稜を持つ山容を竜にたとえ、この名を付けた。東の端が竜の頭で、尾は西
へ三キ。の朝日村山田(日田市山田町)におよぶ巨大な竜だった、と伝えられる。
ふもとには龍川寺、龍林寺、龍源寺(廃寺)の三ヶ寺があるが、寺名も竜体山と深いかか
わりがある。
 頭にあたる東端のピークは竜ヶ鼻と言い、急斜面となってふもとの三花地区に高度を落
としている。 この山の頂きには石仏や岩が多く見られるが、現地調査を行なった際舟っ
なぎ石の表記は見られなかった。途中「針の耳」と呼ぶ穴の開いた岩がある。舟をつない
だという考え方をすると、石に穴が開いているはずであり、その意味からこの二つの石が
舟っなぎ石ではないかと推測される。

(引用)

 大陥没によってできた大盆地に四方の雨水が降り注いで大きな湖ができたのです。東西1
6秤、南北約12秤もありましたから、さぞかし見事な湖であったろうと想像されます。
その当時日田湖の岸辺にあったと思われる竜体山(財津、小野境に横たわる山)の山頂に
近い所や、東有田平くぬぎ、天瀬町馬原字袋、それに石井町一丁目小畑の山頂、大山町烏
宿の山腹、また前津江村の御前嶽の中腹など、今日では思いもかけない高い山の頂きや中
腹に、大昔の人が湖に浮かべた舟をつないだと言い伝えられる「舟つなぎ石」という岩石
がいくつも残っています。   (日田の歴史と史蹟)
 大正11年ごろ、竜ヶ鼻の山腹から山頂一帯に八十八ヶ所巡りの霊場が日田郡内の有志に
ょって開かれた。各札所は、地元や石仏を寄進した人たちによって、岩の姿、形にちなん
で名称が付けられ、寄進された仏は400体を超す。

とげ地蔵をまつる針の耳の岩場を経て竜ヶ鼻山頂(愛宕神社)にいたる。

御旗岩(五十番)を経て二つ目の針の耳(四十八番)にたどり着く。大きな岩の間を通り
抜けるが、行いの悪い者は通り抜ける事ができない、と伝えられているところだ。
              
出典
日田の歴史と史蹟、やまなみ登山 九重 日田玖珠 津江山系