筑後川 日田のの水害
                      すいがい
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(概要)
 筑後川の洪水は1573年から1921年までの349年間に189回記録されている。明治20
年ころから今日まで、放水路や堤防・干拓などの工事がさらに進められるものの、昭和28
年には大水害が発生した。

(文献)
 大山町を流れる大山川は熊本阿蘇外輪山より流れている。古くは阿蘇川といったと「豊
後国風土記」に記されている。大山川は玖珠川と一緒になって三隈川となる。三隈川は下
流にいき筑後川と名前を変える。
 筑後川は長さが143km。九州では一番長い川で、全国では22位である。またその流域
面積は約2860kIポで全国では20位である。
 筑後川の名前は1638年に公式に決まったと記されている。それまでは一夜にして流れ
を変えることから「一夜川」または「千とせ川」「筑間川」と呼ばれていた。
「農耕β」禾瞞礼「書揃」苦節lと並び日本三大暴れ川の一つで「盛盤茨如と
呼ばれていた。
 筑後川の洪水は1573年(元正元年)から1921年(大正10年)までの349年間に189
回記録されている。明治20年ころから今日まで、放水路や堤防・干拓などの工事がさら
に進められた。しかし、昭和28年には大水害を経験した。この時の被害は氾濫面積505km2、
浸水戸数74,000戸、被害者540,000人、死者147人に達している。
昭和28年6月の洪水による
     
出典
大山町史、筑後川今昔物語