日田の古墳文化

(概要)
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 装飾古墳は肥後北部から筑後地域に顕著に認められるもので、日田地方は筑後地方の影
響を強く受けている。また日田地方の主要な古墳の分布を見るとき、日田盆地を取り囲む
ように各地区に存在しているのである。これらの古墳の分布はあたかも小地域を拠点とす
る首長墓ないし、それに準ずる豪族の噴墓を彷沸させる。

(文献)
 日田盆地の古墳文化を象徴するものは、離籍・ぱ廣等詣苦海三号墳・ガランドヤ
古墳などの装飾古墳である。装飾古墳は肥後北部から筑後地域に顕著に認められるもの
で、筑後川上流域にあたる日田地方は筑後地方の影響を強く受けていることになる。また
日田地方の主要な古墳の分布を見るとき、日田盆地を取り囲むように各地区に、すなわち、
豪族居館跡のポ畠蓮簾遺詠がある西北部の朝日地区には前方後円墳の天満古墳群が、東北
部の有田地区に城山古墳・有田古墳が、東南部の業態地区には法恩寺山古墳群、さらに西
南部の石井地区には前方後円墳の護願寺一号墳・穴観音寺古墳・ガランドヤ古墳が存在し
ているのである。これらの古墳の分布はあたかも小地域を拠点とする首長墓ないし、それ
に準ずる豪族の墳墓を彷彿させる。
 高塚古墳の被葬者として推定される首長や豪族クラスの生活根拠地と考えられる大規
模な環壕を持つ建物跡が、日田盆地西北部の小迫辻原遺跡で発見されている。古墳との関
連についてはこの豪族居館が古墳時代初頭のものであるのに対して、日田盆地周辺に該当
する時期の古墳が認められてなく、古墳時代初頭におけるヤマト政権と古墳築造、それと
地方豪族との関連などに大きな問題を投げかけている重要な遺跡である。


出典
日本の古代遺跡 大分