法恩寺山古墳群

(概要)
 一?七号の円墳が並ぶ国指定史跡である。保存状態のよさ、絵柄の多様さからみても県
下を代表する装飾古墳であり、その一帯は日田郡刃連郷の通称地とされる地で「豊後国風
土記」日田郡条にみえる日下部氏にかかわる伝承とともに当古墳との関係も注目される。

(文献)
 日田盆地の南東部の丘陵上にあり、一?七号の円墳が並ぶ。国指定史跡。ほとんどが既
掘墳とみられるが、うち四号墳は昭和三十二年(1957)に発掘調査され、三号墳は径
二十メートルほど、内部主体は複室構造の横穴式石室で、石室は全長約八メートル。前室
は奥行一・八メートル、幅三・五メートル余、玄室は奥行二・四メートル、最大幅二・三
メートル、高さ二・三メートル、中央部が膨らむ胴張りの平面を持つ。玄室の奥壁と右側
壁、前室奥壁、冠石の面などに円文・同心円文・騎馬人物・馬・鳥などの図柄が赤色顔料
で描かれている。その保存状態のよさ、絵柄の多様さからみても県下を代表する装飾古墳
である。四号墳は径十三メートル、石室は南西に開口する単室構造のもので、玄室の奥行
二・六メートル、幅ニメートル、高さ一・五メートル、石室は奥壁に大きな平板を立てる
ほかは基部から割石を小口積みしたもの。玄室から直ちに羨門につながり、左右に袖石を
配している。遺物は変型五獣鐘一面、轡や鈴、雲珠などの馬具類、直刀、刀子など多彩で
ある。須恵器は明らかに二つの時期に分けられるもので追葬が行われたことを示唆してい
る。四号墳が六世紀初め頃、三号墳は六世紀後半以降のものであろう。一帯は日田郡刃連
郷の通称地とされる地で、「豊後国風土記」日田郡条にみえる日下部氏にかかわる伝承と
ともに当古墳との関係が注目される。
出典
日本の古代遺跡 大分