日隈・亀山公園

(概要)
 三隈川の中洲にある日隈山を中心とした公園。豊臣秀吉の家臣の郡令が築いた日限城跡
でもある。日限山の頂上には日限神社(楠公神社)があり公園内には樹齢何百年という古
木が繁っており、四季を通じて市民に利用され,亀山公園として観光的にも有名である
(文献)
 三隈川の中洲にある日の隈山を中心とした公園で、ここから三隈大橋にかけて湖のよう
に川幅が広く、景色が季節ごとに美しい。公園内には樹齢何百年という古木が繁っており、
河畔の散歩は時を忘れさせてくれる。
 日限(ひのくま(亀山公園きざんこうえん))は清流三隈川に浮かぶ森で別名日限山と
もいわれ1594年豊臣秀吉の家臣の郡令が築いた日限城跡でもある.頂上には日限神社
(楠公神社)があり春の桜,初夏のつつじ,梅雨の紫陽花,晩秋のもみじ,と四季を通じ
て市民に利用され、亀山公園として観光的にも有名である。
 郡老政治の後、日田は豊臣秀吉の直轄地となりました。後陽成天皇の文禄三年に秀吉の家
臣、宮木長次郎がこの地に派遣されて、日田の南半分を領有することになりましたので、日限山
に五層の天守閣や、三層の楼をつくり、堀をめぐらした日限城を築くとともに、城下へ田島村の民
家を移して隈町をつくりました。
この城跡は今の亀山公園(日ノ隈山)で、南側は三隈川の本流が流れ、両岸の護岸工事も整
い、島内可動堰がつくられて満々とした水がたたえられています。北には支流の庄手川が流れて
おり、水と山の美しい風景を誇っています。
山頂には日隈神社があり、ここから日田の中心市街を一望の内に収めることが出来ます。
神社の由来は、明治三年五月、時の日田県知事松方正義が、政府の命令によって、日田の
岳林寺から後醍醐天皇の尊像と楠正成公の霊体を遷しかえて祀られたものです。
また西方の中腹に義民「穴井六郎右衛門」の碑が建っています。穴井六郎右衛門は馬原村(天
瀬町馬原)の庄屋で、享保十九年時(二三九年前)の代官岡田庄大夫の過酷な租税に苦しむ、
日田の農民を救うために、延享元年(二二九年前)に、十ヶ条の直訴状を携えて江戸に上り、徳
川幕府に減税のことを訴え出ました。まもなく吉宗将軍から減税の沙汰があって、農民は非常に
喜びましたが、当時禁じられていた直訴の罪に問われて、首謀者の六郎右衛門他二人は、つい
に浄明寺河原(玉川町一丁目)で処刑され、刑場の露と消えました。墓は三花財津町竜川寺にあ
ります。
南側展望地には広瀬淡窓の詩碑も建立されており、歌碑もあります。
月よもの言え 亀山のかげに
 ひとめ逢いたい 人が住む

出典
日田の歴史と史蹟