月隈公園

永山城跡を囲む、月隈山を中心とした公園市民の憩いの場。今では堀と石垣を残すのみ
だが公園内を歩くと豪族が掘ったとされる洞窟もいくつか見られる。

(文献)
 月隈(つきくま)は慶長の頃1601年豊臣秀吉の家来、日田の郡令小川壱岐守が城を
築いて丸山城と名付,以後石川総輔の時永山城と改名した。貞享3年1686年からは日
田郡代が丘の南側に永山布政所を置いて九州各地にある幕嶺や九州各藩の目付けとして
その城勢を示した所である.正面山腹に散在する横穴は,千数百年昔の豪族の古墳だと伝
えられている。

 月隈公園は、日田三丘陵の一つ、月隈山を中心とした公園で、丸山2丁目に位置します。
 慶長年間に小川壱岐守が永山城を築城し、徳川幕府のころから日田代官の居城となった
ところです。今では、その城跡は石垣と堀の一部が残るだけになっています。
 小川氏が古城を改修して建てた月隈城は、元和二(一六一六)年から石川忠総が入城し、
日田六万石を治めた。今は堀と石垣を残すのみだが、城跡は月隈公園に形を変え、市民に
親しまれている。公園内を歩くと、豪族が掘ったといわれる洞穴もいくつかみられる。
 日田三丘の1つ。通称豆田の城山とか、月隈公園とも呼ぶ。日田市の北部にあたる。
昔この小さい丘にあった古城を、慶長6年に小川守り光が改築して丸山城とし、のちに石
川総輔が領主となって永山城と呼んだ。
永山城跡を囲む、市民の憩いの場。白壁、石垣、掘が残り、昔をしのぶことが出来ます。
                              (日田市史)
出典
現地案内板・日田市史