飛龍神楽

(概要)
 飛龍社は大山でも最も古い神社の一つで、かつては神楽が奉納されいた。その後、神楽
の奉納は百年以上途絶え、文献も昭和四年の大火災で焼失した。しかし、昭和63年に、
地域の青少年らが中心に神楽を復活、以来毎年秋祭りに境内で奉納している0

(文献)
 この飛龍社は大山でも最も古い神社の一つで、崩籠経に伝わる文書によると、次のよう
に記されている。「毒腔九年(818)二月十五日(参議小野笠は)、山中に草社をむすび、
丸木の柱を建て、草こもの幕を引き、稗と粟との一夜酒を以て初めて鵜薙鞄を祭る。こ
の冬の祭礼は代々行われ、芙支年中には小野出雲守直清、清継兄弟が子孫昌繁を願って社
殿を再興している。兄弟は天文二十二年(1553)二月には御神体を仏像にかえて天長
                     
地久御願円満を祈願している。さらに天正八年(1580)には飛龍寺を招じ、国家安
全のため、神前で□ロロ典十三部を講読している。(略)」このあと異行(仏教か)を信じ
神明を軽んずことを憂え、旧記を集め記すとある。
 この飛龍社では、かつて神楽が奉納されており、鈴神楽を収納する木箱が発見されてい
る。木箱には、芙提十二年(1841)とあり、百年程前には鈴神楽自体も残っていたと
いう。神楽の奉納は百年以上途絶えており、文献も昭和四年の貫見地区の大火災で焼失し
てしまっていた。しかし昭和六十三年に、地域の青少年らが中心に神楽を復活、以来毎年
10月の秋祭りに境内で奉納している。
 この神楽は島根県の岩見神楽を取り入れたもので、岩見神楽から講師を招き、初年には
年間およそ百六十日間にわたり練習を行った。構成は大蛇の舞、塩祓の舞、塵輪の舞、恵
比須の舞の四つからなり、休憩を挟んで約二時間ほどである。現在は十五人のメンバーで
活動している。

出典
大山町誌・現地調査(平成11年)