藤山の恒雄

 春も終りに近い、彦山のけわしい山路を、のぼって来る一人の旅人があった。名前を善
正と云い、中国のぎというところから、はるばる海を渡って来た坊さんだった。
 美しい山の姿に、すっかり心を打たれた善正は、岩穴を見つけて住み、修業をつづけ
た。そして数年がすぎた。
 そのころ、藤山に、恒雄と云って、生まれつきたいそう気の荒い男が居った。狩をする
のが大好きで、弓矢をもっては、毎日のように、山から山をかけまわっていた。
 或る日のこと、獲物を追って彦山にやって来た恒雄は、岩穴の中の善正を見て、ふしぎ
な気分になった。何か解らないが、妙に心ひかれるものがあった。
 それからの恒雄は、狩のたびにやって来て、何かと、善正の身の廻りの世話をするよう
になった。
 その内、言葉も少しずつ解るようになり、善正は恒雄に、生きものを殺すことを止める
ように、何度も云い聞かせるのだったが、恒雄は、こればかりはどうしても止めようとし
ないのだった。
 そんな或る日、恒雄の前に、一頭の裏白な鹿が現れた。恒雄は直ちに矢を放った。鹿は
矢を負ったまま逃げて行った。
 あとを追って行くと、やがて鹿は力尽きてばったり倒れた。その時傍の大きな桧の、
繁った葉の中から、三羽の鷹が現われ、一羽が口ばしで刺さった矢を抜き、一羽は、翼
をひろげてきずを撫で、残る一羽が、谷川の水を桧の葉に浸して鹿に呑ませると、鹿は
忽ち生き返り、やがて走って行った。
 恒雄は、身体がふるえ、何とも云えぬ哀しみで、胸が一ばいになった。弓を捨て、矢を
折り、善正の前にひれ伏して、教えをこうた。
 それからの恒雄は、善正のもとで、厳しい修業をつづけ、大そう偉い坊さんに、なった
そうな。
 彦山には、恒雄をまつつたほこらが、いまもあるという。

 (造領記より)
出典
「日田地方の昔ばなし」(NTT日田電報電話局編集委員会)