日田殿の力石

 今から九百年以上も昔のこと、日田の大蔵鬼大夫永季が、鷹城に居城していた頃、家臣
の中に謀反を企てた者があって、そのうちの一人の間者が、城内のようすを、ひそかにさ
ぐり忍び出ようとするのを、いち早く察した永季は、手近にあった大きな石をつかむと、
日の隈山(亀山公園)方面へ逃げて行く間者めがけて「ヤーツ」とばかり投げつけた。

 しかし、ねらいは、わずかばかりはずれ当らなかった。次は庭石を引き抜き、ねらい定
めて力いっぱい投げつけると、石は空を飛び、今度は物の見事に命中し、「ドスーン」と
いう地場と共に「アッ」という間もなく、間者は地中深く打ち込まれてしまった。
 こうやって、はるか慈眼山より投げられた二つの石のことを、人々は「日田殿の力
石」と呼ぶようになった。

 ところで、この「力石」の落ちた所は、現在中央公園となり、四十年位前までは公園の
西の隅の方に、それらしい二つの石があって、「しめなわ」を張ったり、「お神酒」をお
供えしたりしていたが、今ではどこにも、二つの石は見あたらなくなっている。
武石珠峯氏著『日田の民話と伝説』より

出典
「日田地方の昔ばなし」(NTT日田電報電話局編集委員会)