菱餅つき祭り・的ほがし祭り

(概要)
 農作物の豊凶は人々にとっては切実な問題である。科学の発達していなかった時代には、年の豊凶を神意
としてうかがう方法が取られた。年占神事としては粥(かゆ)試しや歩射(ぶしや)が行われる。
(文献)
 〈神社の年占神事〉
 農作物の豊凶は人々にとっては切実な問題である。現在でも、気象台の発表する長期予報はかなり当たり
はずれがある。科学の発達していなかった時代には、年の豊凶を神意としてうかがう方法が取られた。年占
神事としては粥(かゆ)試しや歩射(ぶしゃ)が行われる。
 粥試しを神事としているのは、大原八幡宮(日田市田島)と貴船神社(九重町松木)である。大原八幡宮
の「米占(よねうら)祭」は、旧正月15日に小豆粥を炊き、地形盆と五穀盆に平らにつぎ分ける。地形盆に
は、日田地方を流れる諸河川をカズラで示し、上流に標識札を立てる。五穀盆は、大麻の木片で中心から5
等分し、稲麦粟(あわ)稗(ひえ)大豆などの標識札を立てる。神殿の中央神座の前、向かって左に地形盆、
右に五穀盆を供える。旧2月15日朝、2つの盆を楼門横の回廊の案の上に置く。古老たちがかびの生えてい
る個所や色などで占う。地形盆が白かびで蔽(おお)われていれば平穏無事である。赤かびの斑点(はんてん)
は火事、黒かびは疫病(えきびょう)、青かびは水害、貴かびは風害である。五穀盆の縁の方が植え付け
時、中心部は収穫時を示している。白かびで蔽われて露がなければ豊作、赤や黄の斑点があって虔がなけれ
ば畢魅(かんばつ)、青や紫の斑点があれば病虫害のおそれがある。現在は1月遅れの新暦でしている。
 貴船神社の「年試し祭」は旧12月の2の卯の日である。神殿に安置した石製の壷を申し殿に出し、前年の
供え物のかびの生えぐあいで、早稲中稲晩稲の豊凶を占う。申し殿は簾(すだれ)や幕を張って見えないよ
うにし、氏子代表1名が神主を補佐するが、占うのは神主だけで占い方は秘事である。前年の供え物を壷か
ら出して穴に移す。壷の底にイボシ(アオキ)の葉3枚を敷き、しとぎと小豆飯のお握り、結び昆布、塩鮭(い
わし)を3つずつ入れ、氏子が持参した甘酒を注ぎ、壷は再び神殿に安置される。
 若宮奈多(なだ)両八幡社(以上杵築市)や、山神社(安岐(あき)町)の御田植(おたうえ)祭では、最
後の出産で多く産まれる児の性別を占っているが、かつては年の豊凶を占ったはずである。文政4年(1821)、
奈多八幡社から伝授された、山神社の御田植祭にある歩射行事も、元来は豊凶を占ったものである。宮園小
原両老松社(以上中津江村)の、旧3月3日の祈年祭を「的ほがし祭り」と通称する。神主が三文鉾(ほこ)
で的を突いてから歩射をするからである。中世に津江地方を支配した、長谷部氏の武運長久祈願と伝えるけ
れども、的の裏面の「鬼」の字は作物を害する獣鳥虫と解され矢12本を射ることから年占神事と思われ
る。祭りは現在は新4月15日である。
 〈農家の年占行事〉
 江戸時代、農民が行った年占の記録はほとんど目にしてないから、調査で聞き取ったものを次に記す。家
ごとではなくて、本家で年占をすることが古い姿であったと推測する。若水を汲(く)む時に撒(ま)いた米
の沈みぐあいで占ったり、米粒を柄杓(ひしやく)にすくい込めば豊作とした。旧正月6日にいろりの灰に、
月の数(閏年は13)ほどのくぼみを作って豆を入れ、その焼けぐあいで月ごとの天候を占った。「月焼き」には
ムギノキトベラへ−ボーッルの菓や、猫柳ダラ(タラ)の木などを用い、6日から15日までにしていた。
正月15日朝、小豆粥や小豆飯で作物の豊凶や家族の運勢を占う、「粥試し」「穀試し」「トウボウサク」は、
豊肥久大地方で盛んであった。作物牛馬家族などの符号を記した、長さ数?の篠竹の管を入れて炊き、小
豆や飯粒の詰まりぐあいで占った。大分地方では、粥の汁に浸したわらしべの束を扇形に広げ、籾殻のつき
ぐあいで占った。
 旧正月10日から25日にかけての百事(ももて)祭り は、県中部と国東半島で盛んである。大分地方と
国東半島西部では「百事」、半島東部では「歩射」と呼ぶことが多い。百事は矢一手=3本を百事射る意であ
る。騎射である流鏑馬(やぶさめ)に対して歩射と呼ぶ。五穀豊穣家内安全祈願とされるが、元来は年の豊
凶を占うものであった。記録で確認している最古のものは、日野地(山香町)の元和4年(1618)で、仁王(日出
町)の寛永3年(1626)、大龍(庄内町)の寛永12年(1635)が続く。仁王の歩射は牛馬中心であるが、現在も継
続しているかは確認していない。日野地大龍は共に現在も継続している。
 正月以外に行われる年占行事もある。8月十五夜や9月十三夜が曇れば、小麦裸麦が不作とする土地もあ
った。三重町では、旧11月の荒神(こうじん)祭りに年占をした。荒神祭りは、「森荒神」と通称する屋敷荒
神の祭りで、家ごとに日は異なる。法印が読経する間に、神木の根元や石嗣に埋めてある壷に、供え物の煮
た五穀(米麦粟大豆小豆)と、しとぎを少しずついれる。この際、前年までに入れた供え物の乾湿によって
翌年の豊凶を占っていた。【染矢多善男】
出典
インターネットホームページ