日田祇園祭り

(概要)
 高さを競い合う山鉾や人形の歌舞伎、金糸銀糸で刺繍をはどこした、豪華な飾り幕『見
 送り』など、華やかな日田祇園祭りは、町人が経済力を持ち、町人文化が華開いた時代に、
 町人たちの楽しみとして、隈・豆田の両町で盛んになったといわれる。

(文献)
盆地ゆえにことのほか暑い日田の夏、日田っ子たちは病態に沸く。高さ10。にも及ぶ
石蕗が勇壮な掛け声とともに街中を走り、華やかな熱気に観衆たちは沸き上がる。
 日田祇園祭。その歴史は遠く江戸時代にさかのぼる。そもそも祇園祭というのは、悪疫鎮
護の尭韓桂“≠蒜笑主(スサノオノミコト)”を祭った行事である。日田は祇園祭が始まっ
たのは寛文五(1665)年頃。本格的な曳き山が作られるようになったのが違背四
(1714)年頃である。町人が経済力を持つようになり、町人文化が葦開いた時代に、町人
たちの楽しみとして、隈・豆田の両町で盛んになったという。
 この祭りの事を知るには、隈の旅館街近くにある「日田祇園山鉾会館」へ行くといい。現
在最高の高さ10mを誇る平成山鉾をはじめ、隈の各町の山鉾や山鉾の背面を飾る見送りな
どが展示され、管理人の松下嵩さんが説明してくれる。
 山鉾(曳き山)は大きいもので4トン、小さいものでも2トン。昔は電線がなかったので
高さを競い、高いものは20m近くにも及んだが、明治三十三年、日田に電気が通り電線が
できてからは高さ5mに制限されていた。平成二年、約九十年ぶりに10m山鉾が復活し、
以降各町の山鉾も高くなった。
 山鉾の人形は歌舞伎などの1場面を表し、口をへの字に曲げた独特の顔をしている。人形
師は現在、日田で1人になってしまったという。

 豪華なのは『見送り』である。上方に頼んで丹念に作らせ、当時では珍しい舶来のラシャ
地に金糸銀糸の刺繍をはどこし、爪には象牙を、眼玉には高価なギヤマンを惜し気もなく
使っている。裕福な日田商人たちのパワーが感じられる贅沢な祭りだ。
 祭典は1週間前の神輿洗神事2日前の流れ曳き、JR日田駅前での集団顔見世のあと、い
よいよ本巡業。提灯山鉾の晩山巡行で一気に盛り上がる。独特の日田祇園囁子が奏でられ
る中、舵取り棒を握る棒鼻、運行を指揮する押さえ、後ろから押す後押し・・・大人も子
供一体となって、勇壮な祭りの競演に酔う一夜だ。

出典
「真ん中九州 日田 遊びの教本」