鵜飼

(概要)                             
 日田の鵜飼は、1594年に娯楽慰安の為に岐阜から鵜匠を連れて来て、四家の庄屋に一人
ずつ養わせたことに始まると伝えられている。江戸時代にも歴代の日田代官が鵜飼を保護
していた。県無形民俗文化財に指定されている。

(文献)
 日田の鵜飼は、豊太閤の日田郡令、宮木長次郎が、文禄三年(1594)日田入部の時、
娯楽慰安の為に岐阜から鵜匠を連れて来て、中城の庄屋某・竹田の庄屋二串和平次、鎌手
の庄屋矢羽田三右衛門、上津江の庄屋某の四家に一人ずつ養わせたことに始まると皐えら
れている。
 江戸時代にも歴代の日田代官が鵜飼を保護し、鵜匠株を有する者の他はこれを禁じ、ま
た、株を他人に売り貸しする場合には代官の許可を必要とした。
 日田の鵜匠の特徴は、軽舟に鵜匠と船頭がのりくみ、六羽から八羽の鵜を巧みに操ると
ころにあり、その妙技はすばらしい。昔は照明に松明・麻柄を使用したが、今日はカーバ
イドを使っている。したがって、
「浮き沈む鵜に葦火のこばれけり 魚将」
の風趣はなくなっている。
 昭和四十一年三月二十二日、県無形民俗文化財に指定される。
出典
日田市40年史