日本丸館

(概要)                                 も
 万能薬「日本丸」で全国的に有名になった薬屋、岩尾薬局の資料館である、日本丸館。
「日本丸」は時代の流れから原料の入手が困難になり昭和四十年代で製造中止になり、
現在は「豆田の天守閣」と呼ばれる木造三階建ての資料館を残すのみである。
日本丸館は、江戸時代に建てられた薬屋の母屋と蔵、、二階を明治時代、三階を大正時代に増
築し、1991年の台風19号で三階などが壊れて改修する際に薬の資料館構想が持ち上がり、9
3年に完成した。

(文献)
 木造三階建ての日本丸館。1階部分は築150年になる。江戸時代の雰囲気を漂わせる日田
市豆田町の上町(うわまち)通り。その中でも、白壁、銅板屋根の木造三階建ては、ひときわ
趣を感じさせる。地元での通り名は「豆田の天守閣」。江戸時代に建てられた薬屋の母屋と蔵
で、二階を明治時代、三階を大正時代に増築した。一九九一年の台風19号で三階などが壊れ
て改修する際に薬の資料館構想が持ち上がり、九三年に完成した。「日本丸?残念ながら販売
してません。三十年ほど前に製造中止に」。案内してくれた串尾美子さん(46)は申し訳な
さそうな顔をした。
 一八五五(安政二)年、岩尾家弟十四代・半蔵が薬屋「伏見屋岩尾古雲堂」を開業。一九三
五年、十五代・昭太郎が心臓病、熱病などに効果がある家伝薬の改良を重ねた結果、朱色の「日
本丸」の製造に成功し、海外まで販路を広めた。しかし、時代の流れから原料のジャコウジカ、
サイカタなどの入手が困難になり昭和四十年代に製造中止、今はサンプルを残すのみだ。
朱色の玉とは、当時にしては斬新(ざんしん)なデザイン。薬効にも自信があっただろうが、
それ以外に売れた理由があったはず、と周囲を見渡すと、答えは至る所に張られていた。「万
病万能!日田に生まれし文化の霊効!」「のんだ!ねた!おきた!なおった日本丸」…。薬事
規制が緩かった時代とはいえ、分かりやすいキャッチフレーズ。自ら「誇大広告」の張り紙も
ある。岩尾家はコピーライターの先駆けだったのか。串尾さんが教えてくれた「営業秘話」に
も思わずニヤリとさせられた。一変装した昭太郎。東京で薬局を訪問。「日本丸はあるか。な
い?あんなに効く薬なのに」。しばらくして同じ店を訪れたときには、日本丸が入荷していた
というー。

 テンポの良い日本丸のキャッチコピー
「日本丸」の製造に使われた道具がズラー」。製丸機の上には日本丸入りのびんも。弓長り紙のせ
いか、薬の資料館といっても堅苦しくない。日本丸の製造過程に使われた製丸機や薬を入れた
「百味たんす」などの道具が並ぶ一方で、年代物のミシンやいろりなどもあり、民俗博物館の
雰囲気もある。三階の展望楼からは、日田の街並みを一望できる。
帰り道、張り紙をもう一度見る。「ふしぎによく効く日本丸」。隣のカップルは
「ふしぎに、といわれてもねえ。根拠を説明しないで大丈夫なのかね」と笑いながら、まん
ざらでもない様子。魅惑のキャッチコピーは、どうやら現代にも通用しそうだ。
(日田支局・有川大輔)[2001年3月21日夕刊掲載]


出典
2001年3月21日夕刊掲載