高塚地蔵尊



(概要)                                 キ
 愛宕信仰とは京都市の西北にある愛宕山上にある神社を中心とした信仰であるが中古
になってこの山に仏者が入るようになり、別に堂を建てて地蔵菩薩を安置して本地仏とし
た。この愛宕地蔵は神仏混合の形式を今に残しており大変珍しいとされている。

(文献)
 実韻の下流豊後中川駅から国道を離れて右に約八キロ入ると高塚部落がある。ここにま
つられる愛宕地蔵尊は多くの信者を集めて香煙の絶え間がない。
       
 寺伝によると、天平十二年(740)行基菩薩が聖武天皇の命によって筑紫に下った帰りに、
ここ高塚に立ち寄り銀杏の木の下で天下泰平、豊国繁栄の祈りをつづけているうち、御神託が
あったので一体の地蔵尊を刻み一堂を建てて安置したといわれている。また、境内には行基が
当所で修行の際、地蔵菩薩の奇瑞があらわれたという大きな銀杏樹があり、御霊木として崇拝
され一名を乳銀杏ともいう。のちの時代になって誰いうとなく乳地蔵といい、乳の少ない婦人
は自分の年の数だけ乳頭を布切れで作って、この銀杏にくくりつけて祈ると不思議と乳が出る
ようになるといわれている。
 この愛宕地蔵は神仏混合の形式をそのまま今に残しており大変珍しいとされている。
 毎年春三月と、秋は九月のそれぞれ二十四日を祭日としているが、その日は参詣人が多
く日臥玖珠地方の近郊はもちろん、福岡、熊本県からの信者も集まり一万人を越す人出
でにぎわうという。
 そもそも愛宕信仰は京都市の西北にある愛宕山上にある神社を中心とした信仰である。
この社はもと鷹峰にあったのを平安京の西北隈の峰に王城鎮護の神として祀ったもので
あるが中古になってこの山に仏者が入るようになり、別に堂を建てて地蔵菩薩を安置して
本地仏とした。
 このようにして神と仏が混合して愛宕すなわち地蔵になったといわれる。そしてこの地
蔵を崇拝すれば必ず勝利を得ると称して朝廷をはじめ武士の尊崇を受けたという。そして
勝負ごとに必ず勝利を得る神である▲とともに、火防ぎの神であるともいわれ次第に各地
にひろく勧請されてきた。
出典
大分の地蔵たち