岳林寺

(概要)                                
1342年、後醍醐天皇の勅願で、渡来僧、明極楚優により開山。
境内の郷土資料館では仏像や書画、古文書など県指定文化財の多彩な歴史美術品を展示し
ている。

(文献)
1342年、後醍醐天皇の勅願により建立された岳林寺に伝わる仏像や書画、古文書など県
指定文化財の多彩な歴史美術品を展示しています。
岳林寺は、曹洞禅寺です。入口に大きな仁王が建っています。私もこのような身体にあこ
がれています。しかし、胸よりも腹がでたのはなぜでしょうか。不思議でなりません。
上の写真は「城親賢(ちかまさ)」の墓です。親賢は植木市の基を築いた人で、毎年植木
市のはじめに墓前祭が行われます。また「百聞石垣後ろとび」の話で有名な山東弥源太の
墓もあります。
 このお寺には、郷土資料館が併設されています展示品は南北朝時代の彫刻や絵画のほ
か、古墳時代の出土品もあります。
 日頃は戸が締まっていますから、拝観する場合はお寺の玄関から申し込んでください、
岳林寺はJR夜明駅の近くで駐車場も備えています、また紅葉が美しく、秋に日田を訪れ
た際は立ち寄ることをお勧めします
岳林寺は、1342年に開山した勅願によるお寺です。総門には国家安寧祈願の額が掛かって
います。
 大蔵永貞(ながさだ)は元僧明極楚俊(みんきそしゆん)を招いて康永2年(1343)臨
済宗の岳林寺(がくりんじ)を明極は上洛の途中日田を通り、岳林寺(がくりんじ)(日
田市)を開いたという。

岳林寺(2)
F56
大平興国松陽山岳林永昌禅寺                     ヰ

臨済禅宗京都妙心寺派に所属し、岳林寺と呼称されています。岳林寺は元弘元年(−、
一年)元の帰化僧、明極楚俊禅師の教えにいたく感動した後醍醐天皇が時の郡司大蔵永貞に
建立を命じた、九州唯一の勅願の霊場です。
明極禅師は楠正成とも親交があり、湊川の戦いで自刃した正成の遺体を厚く葬るとともに、その
霊像を寺内に祀りました。明治三年に神仏混清が禁止されて後、後醍醐天皇の尊像と楠正成の
霊像は日隈山に遷され日隈神社が創建されました。
南北朝時代から戦国時代にかけての三百年間は戦乱のため荒廃にさらされていましたが豊
臣、徳川時代になって日田地方を支配していた領主、郡代により手厚く保存されるようになり、歴
代将軍からも寺領三十石の朱印状が与えられました。
このことは、当時の岳林寺が禅宗諸寺院の中でも特に由緒のあるものであったことを物語って
います。
 日田で没くなった郡代達の殆どは岳林寺墓地に葬られています。
山門に掲げられている「大平興国」の巨額は、まだ正式に国交の開けていなかった元の国から
入手したもので、当時の禅僧の力の大きかったことがうかがわれます。又境内には大阪冬の陣の
口実となった「国家安泰」の鐘銘を作った京都南禅寺の文英清韓大和尚の隠墓もあります。境内
は元の本坊跡の一部だけで、三、五00坪あり釈迦三尊像等貴重な仏像が数多く安置されてい
ます。

 岳林寺郷土資料館所蔵品
 北友田一丁目一三一七番地(岳林寺境内)

岳林寺は、康永元年(一三四二)後醍醐天皇の勅願により、日田郡司大蔵永貞が元からの渡
来僧明極楚俊を開基として創建された。
 この郷土資料館には、その時に京の仏師によって制作されされさ本尊釈迦三尊像をはじめ、
日田屈指の名刺である岳林寺の由緒を示す数々の什宝を中心に、古墳時代に築かれた北友田横
穴墓群出土遺物や、高瀬にあった普門寺の開山笑厳和尚の頂相もあわせて保管展示している。
◎岳林寺木造明極楚俊坐像(南北朝時代の作)
◎岳林寺絹本着色仏捏磐図(室町時代前半代の作)昭和五六年三月二一日 県有形文化財
指定
◎岳林寺木造釈迦三尊像(康永二年【一三四三】の作)
◎岳林寺絹本着色明極楚俊像(室町時代の作)
◎岳林寺紙本墨書明極楚俊墨跡(南北朝時代の作)
◎岳林寺文書昭和五五年二月一三日 市有形文化財指定
◎岳林寺木造弥勅書薩像(応永三○年卜四二三】の作)平成三年三月三○日 市有形文化
財指定
◎普門寺木造笑厳和尚坐像(応永一六年【一四○九】の作)昭和四七年六月一二日 市有形

 総門                                    せ
安永元年宇佐八幡の門を模して建造された槍造り、上掲の「大平興国」の大額は播世恩の筆に
なるもので、後醍醐天皇より御下命の国家安寧祈願のための額です。
塀の五本の白線は皇室ゆかりのしるしです。
右の石像は、画家本下逸雲等文人墨客の寄画寄進によって刻像開眼されたものです。
左の石仏は地蔵菩薩です。
 松陽山岳林永昌禅寺
後醍醐天皇の頃、元弘元年(一、三三一)元の高僧明極楚俊によって開山された九州唯一の勅
願の霊場です。境内は幽遂で墓地には日田代官の一部の墓やむかし方広寺の鐘の銘(国家安
泰)を撰して豊臣、徳川両家の紛議をかもした清韓長老文栄和尚の墓もあります。
境内東側には釈迦三尊像や後醍醐天皇の御岳かん、御論旨、御草履等歴史的所産を収蔵した
資料館もあります。
日田市
(日田の歴史と史績)
出典
日田市寺院等調査録・日田の歴史と史績