地名「鎌手」



(概要)                           阜
 「鎌手」は、大山川左岸、万々金村に囲まれる形の村域で、鎌手・中津尾・下釣・柚木
などの集落が′あり、明治8年万々金村などと合併し西大山村となる。現在の鎌手・中津尾・
下釣・柚木である。

(文献)
 鎌手村(現在の地名:鎌手・中津尾・下釣・柚木)
寛永(1624−44)初年の日田出口村書上(東京大学史料編纂所蔵)に日田郡老財津氏知行地と
して柚木村・下津留(しもづる)(下釣)村・中津尾村、同じく世戸口氏分として鎌手村
がみえる。柚木集落の対岸の出口(いでぐち)(現天瀬町)とは天文期(1532−55)以来しば
しば簗場をめぐって争っており、寛永期頃には当村が敗訴し17人が斬罪に処せられたと
いう。
毛付高写(豊西説話)(1714)で述べている「大山筋六ケ村」の一つである。
明治8年(1875)万々金村などと合併し西大山村となる。高平(たかひら)に高平神社が鎮
座する。

「矢野家伝」の中で鎌手の由来を次のように述べている。
“老翁が流れ沿りて下る途中、嶽の嶺で猛獣が群れているのを見た。西山につくと、たち
まち鳴動して大きな熊の群れと出あった。その地は熊出と命名された。”
とあり、編者は後に鎌手と改められたのは大変な誤りであると記している。

参考文献
角川地名辞典・平凡社地名辞典・日田郡の文化財