地名「大山」


(概要)
                                                                             申
18世紀初めには大山筋として把握されており、それらを含めた6村が現在の町域となっ
ている。明治22年(1889)の町村施行に伴い、大山村が成立。昭和44年(1969)町制を施行
し現在に至る。

(文献)
 現郡域の北部中ほどにあり、北から西にかけては日田市・前津江村、西から南にかけて
は中津江村・熊本県阿蘇郡小国町、東から北にかけては天瀬(あまがせ)町と接する。町
の南端で杖立(つえたて)川と合流した大山川(筑後川)は町域の赤石川などを集めて北
流、日田市域に向かう。
 中世は太宰府天満宮安楽寺嶺の津江山の内であったと見られるが、戦国期末には大山庄
とみえ、近世にも支配単位または通称名として継続する。18世紀初めには大山筋として把
握されており、それらを含めた6村が現在の町域となっている。明治22年(1889)の町村
施行に伴い、大山村が成立。昭和44年(1969)町制を施行し現在に至る。
 近世以来鮎漁が盛んに行われてきたが、昭和28年の洪水により簗漁も衰退した。この
洪水では家屋流失58戸に及ぶ被害を出した。

 大山庄(荘)(おおやまのしょう)
大山川流域、現大山町を中心とする一帯に比定される広域通称名。その範囲は未詳である
が、天正8年(1580)4月13日の田北鑑重(紹鉄)位牌銘(大友史料)に「大山ノ庄万々
金村之内、松原卜中小村」とあり、現町域南部の松原を含んでいる。
日田郡司職次第(東京大学史料編纂所謄写本)の大蔵永俊の項では日田庄五力郷のうち
として大山村とみえる。
文禄5年(1596)5月19日の戸倉友重宛行知行目録写(毛利高棟文書)に日田郡大山庄の
内として、ままかね村・中山村・おぎり畑村・下かたせこ村。正保郷帳には柚木村・大野
村・赤石村(現前津江村)・植野村・栃原村(現中津江村)・野田村(現中津江村など)・
川原村(現上津江村)・鎌手村・小五馬村・万々金村・栗林村の11村。

その後大山庄より津江庄が離れ、豊西記(1686)では、
上述の内、柚木村・大野村・赤石村(現前津江村)・梅野村・栃原村(現中津江村)・野田
村(現中津江村など)・川原村(現上津江村)を津江七村と称している。

正徳4年(1714)の毛付高写(豊西説話)では、高取・栗林・続木・万々金・鎌手・小五
馬の6村を大山筋六ケ村と記されている。
(「豊後国志」では高取に代えて小切畑と記してある。)

参考文献
角川地名辞典・平凡社地名辞典