天満社

(概要)                                書
 大蔵永季が相撲節会の勝利を願って五本の白幣を投げたところ、そのうちの一本が当地
北山のタブの木にかかり、これを崇拝し祀るようになったという。現在地には延宝八年に
移ったといわれる。

(文献)
 由緒 社伝によると、大蔵永季が相撲節会の勝利を願って五本の白幣を投げたところ、
そのうちの一本が当地北山のタブの木にかかった。これを崇拝し祀るようになる。近くに
御手水谷というところがあるが、これは神官が斎戒沐浴する場所であつたという。
       
 現在地には延宝八年(1680)に移ったという。現在同年の棟札が残るが、それによると
小五馬村天神宮一字を再興とある。またその趣旨としては「御公領御代官永田七郎右衛門
殿」の武運長久・国家安全息災延命とある。この後、享保二十年(1735)には社殿が小
さい上に破却したため再興している。建物の細部の特徴から見て、.現在の本殿はこの時の
建立によるものという。(「大分県の近世社寺建築」大分県教育委員会)。さらに航四年
(1735)には拝殿を再興しているが、現在の拝殿がそれに相当する(同前書)。また
境内社として神明宮を祭る。
出典
大山町史