鳥宿神社

(概要)                                 
 日田郡司大蔵永弘の命により寛和元年に社殿創建とあり、さらに源平の合戦の際、大蔵
永秀・永隆の兄前は烏宿権現の御利益で難をまぬがれ、帰国後社殿を造営したともいわれ
る。霊山烏宿山の歴史と英彦山の関係を物語るための役行者開基伝説や、日田の豪族大蔵
氏との関連などもうかがえる。

(文献)
役行者が英彦山を開いたのち、当地を霊場として開いたという伝説がある。
 社伝によると、日田郡司大蔵永弘の命(大蔵永季とする説もあり)により寛和元年(985)
に社殿創建とある。
 さらに源平の合戦の際、大蔵永秀・永隆の兄前は烏宿権現の御利益で難をまぬがれ、帰
国後社殿を造営したという。
 また、前津江村赤石に伝わる家伝書「矢野家伝」では烏宿山のことを以下のように伝え
ている。

さて西山に着いた土神は翁に、西山の中ほどに峻厳があり、清水が湧き出していると告げ
た。この湧水は、どんな大早魅のときでも滴れることはなく、しかも清冷で‥烏浪神が常
用しているという。
 この湧水池にようやくたどり着くと、そこには大きな騰がいた。翁が、この山の神かと
問うと、自分は国常立命(天地開閉とともにれた神。神世七代の第一代)の時代よりここ
に住み、他所へ行ったことはない。あなたは何のためにここに来たのかと、逆に尋ねた。
翁は、ここを拓くために来たと答えると、烏聴神がここより北のほうに平地があると告げ
た。
 いずれも史実としては信頼できない由緒であるが、その背景には霊山烏宿山の歴史と英
彦山の関係を物語るための役行者開基伝説、古くから広く日田地方に信仰が広がっていた
ことを示すために結びつけたと思われる、日田の豪族大蔵氏との関連などがうかがえる。
出典
日田郡の文化財