淡窓ゆかりの地

(概要) 
                             
 鹿瀬家が博多より移住して来て住んだ「鹿瀬宗家」や淡窓が学んだ「長福寺」、後に私
塾を建て、現在は公園となっている「桂林奏公園」等淡窓ゆかりの地がいくつか見られる。
(文献)
 鹿瀬宗家…鹿瀬家は江戸時代、掛け屋や諸藩御用達をしていた豪商で、先祖は
延宝元年(1673)博多より移住してここに住んだ。以後増改築され今日に至っている。
昭和44年自宅の裏に贋瀬先賢文庫を建て、淡窓父子兄弟など鹿瀬八賢の遺書等を
収蔵している。また蔵の一部を改修し廣瀬資料館として公開している。
 長福寺…豆田町にある真宗大谷派の寺院で山号は照雲山。寛永8年(1631)の創建で、
特に本堂は真宗寺院建築の様式を残す貴重な建物である。淡窓は幼児この寺の法
瞳上人に詩経を学び、後年学寮を借りて塾を開いている。
 桂林荘公園…淡窓は文化4年(1807)この地に塾舎桂林荘を建て、10年間師弟を教育した。
この桂林荘時代に「桂林荘雑詠諸生二示ス」の4首が作られ、殊に第二の「休道の詩」は
有名で塾の生活が活写されている。現在公園として整備され、淡窓の石像と休道の詩碑
が建てられ、観光客や市民の憩いの場となっている。
出典
日田の歴史と史蹟