裸まいり・烏宿
FlO3
(概要)
 烏宿山の中腹にある御地の水は、不治の病や、農作物の病気などに効くとの評判であっ
た。享保17年の大飢饉のおり、日田代官がこの水を取りに行かせた為、領内は救われた
という。それ以来、地区の人は霜月の早朝を選んで裸まいりをしたと伝えられている。

(文献)
 鳥宿詣の中腹にある御地の水は、不治の病や、農作物の病気や虫よけによく効く“まぼ
ろしの水”と評判だった。
 鞘十七年(1732)は諸国に害虫繁殖し他の天災とも重なり大飢饉の年であった。時の
日田代増田太兵衛道修は、土地の者の御地の水のうわさ話を聞き、早速使いのものを小切
畑庄屋につかわし、その水を領内に配ることを命じた。
 命を受けた小切畑庄屋は、村の若者三十人の身を清め、・裸のまま烏宿神社に詣で、御地
のお水取りを行なった。このまぼろしの水は大飢饉を救い、代官が治める領内では一人の
餓死者もでなかったばかりか、豊前、筑前までこの話は広まり、まぼろしの水をくみに方々
からやって来た。それ以来、地区の人は最も自然のきびしい霜月の十五日早朝を選んで裸
まいりをしたと伝えられている。
 明治、大正、昭和の初期までは、近くの若者がかけつけ最盛期には二百人をこす人が参
加しその掛け声が暁天をついて聞かれたという。
裸まいりの様子
烏宿のお池
出典
大山町史