日田杉

(概要)                           阜
 日田は我が国の杉の3大美林地の1つとして知られている。1734年日向の奈須山での大
規模な山林作業が行なわれた際、日田のもの数名が実地指導に参加し、山林作業に必要な
知識全般を身につけ、日田杉の芙林の形成と林業日田の基礎固めを進めることとなった。

(文献)
 日田は我が国の杉の3大夫林地の1つとして知られている。
 日田の先哲31人衆の一人で郷土史家の森春樹はこのように言っている。
「百年も前(今から約250年)には栂の木が多くて杉は少なかったそうだ。鏡坂(上野町)
のあたりから護願寺(石井一丁目)へかけてはすべて栂の木だったというがほんとうだろ
う。今でも非常に古い家や蔵の建築材には栂が用いてあって、杉はかえって珍しい。とこ
ろが今は栂は全くなくなってしまって、津江の山以外ではこの木の生えているのさえ見る
ことができない」といっている。

 初代吉三郎は日田で、竹を筏に組んで筑後川を下し、川下の地方で売る商いを始めたと
いう。2代目の九郎兵衛のときになると、「竹筏に雑木、杉の木なども少々づつ組みまじ
えてこれを下す。3代目吉三郎に至って宝暦(1751〜)明和(〜1771)の頃に、日田の林業は
画期的な変革を遂げる。享保19年(1734)日向の奈須山(現宮崎県椎葉)で大規模な山林作
業が行なわれることになり、
 これを知った吉三郎は、これこそ好機と中津江村(現北友田3丁目)から藤六、甚兵衛と
もう1人の兄弟3人を見込んで呼び寄せ、奈須山に入って新しい山林の技術等を習い覚え
て来るように命じた。藤六たち兄弟は2年ほどの間に「杉木の挿し穂の仕立てはもちろん、
立木の根掘り、りんかけ、山出しのやり方、それに山の作業に使用する鳶口などいろいろ
な道具の扱い方、造り方に至るまですべて見覚えて」て、山林作業に必要な知識全般を身
につけた。日田杉の美林の形成と林業日田の基礎固めを進めた吉三郎はその第一の先駆者
であった。
 また筑後川の筏流しは材木運送の重要な方法であり、享保のころ(1716〜35)日田郡各村
の竹木商人は各自で筏を組んで下っていた。
 久留米の竹木問屋の奥書証明のある印紙を日田の木屋3人が受けとって、竹木の数を記
入した手形を発行、これを通行証明とすることにした。そして日田の木屋は紺地に白く「公
料」と染めぬいた峨をつくり、筏に立てて川を下すように命じられた。
 明治になってもいろいろの困難があったが、日田の山林、材木業界はこれを乗り切って
主要産業として育って来た。その中で相良家は木屋方として重きをなし、大正2年、日田
郡木屋商同業組合(戦後、日田木材協同組合)の創立に際して、相良瀧六は初代組合長とな
った。
出典
坂本武信編「日田木材共同組合百年史」昭和54年日田木材協同組合