石工

(概要)                           
 大山町には今村源助・朝倉六治を代表とする優れた石工が多く、広く日田郡内にも活躍
足跡を残している。

(文献)
 大山町には優れた石工の存在が多く語られている。
 大山町で石屋が多かったのは中川原で、町内と前津江村などで仕事をしていた。墓石つ
くりを彫刻石屋、石垣積みを現場石屋といい、石切り場で石を切り出して割る石屋をワリ
ヤマ(割り山)と呼んだ。
 大山町内で石材として使える石は、日田石と呼ばれる灰白色の安山岩で、転石といって
岩塊状で山中に存在し、石垣の聞知石などに用いられた。
 町内の鳥居・狛犬・石燈籠・玉垣・石橋などに多く石工名が刻まれている。中でも万々
金村の石工が多い。代表的な石工をあげると、今村源助と朝倉六治である。

 今村源助…尾園社の鳥居(文政12年く1829〉)、老松社の鳥居(嘉永2年〈1849〉)、
      尾園社の狛犬(弘化4年 〈1847〉)など

朝倉六治…小五馬天満社鳥居(大正6年)、高平神社鳥居(大正9年)、同社鳥居(大正1
    2年)、上野天満社鳥居(大正12年)烏宿神社鳥居・中津江村の小原津江神社
     の鳥居(昭和3年)、高平神社の石燈籠など、

 彼らは大山を代表する石工といっても過言ではない。大山の石工たちは、広く日田郡内
にも活躍の足跡を残している。
 現在は石工として活躍している人はいないが、作品に残る名からわかるように大山
(万々金)石工は、日田・津江一帯では名工として名を知られた集団であった。
                                                 タ

 【石工にまつわる言い伝え】
閏年には墓石を建てない風習がある。源平合戦のときに多くの戦死者が出たが、死者の多
くは墓を建ててもらえなかった。ある閏年のこと、石工に墓石を頼みに来た人がいたが、
実はそれは平家の亡者で、結局代金を支払ってもらえなかったという。この伝説のために、
今なお閏年には墓建てをしないのだといわれている。
出典
大山町誌