日田邪馬台国説
大分県日田市内のダンワラ古墳から、雄諜叢簸篭箕誤審と名付けられた鉄鏡が出土
した。現在重要文化財の指定を受け、東京国立博物館に展示されているこの鏡は、中国で
も類例の少ない前漠代の宝飾背鏡と見られ、国内ではこれに比するものは出土していない。
また、同じくダンワラ古墳から、同じく重要文化財、釜蕗族嵩読も出土しており、これも
戦国時代から前漢代のものと見られ、当時日田に、大陸の国家と深い交流を持った豪族が
存在していたことはまぎれもない事実であると言える。これがすなわち日田イコール邪馬
台国とするのは短絡だが、金銀石英象族竜文鉄鏡は考古学者賀川光夫氏のいうようにまさ
しく「卑弥呼が持つに相応しいものだといえる鏡」である。また、日田が古代史の研究に
重要な場所であり、鉄鏡は日田イコール邪馬台国の仮説を立ち上げるのには十分な材料で
あるといえる。
邪馬台国の位置を検討する上では、「魂志倭人伝」に頼らざるを得ない。もちろん実体を
この記事のみから掴むことは出来ないが、これは日本の古代史書としては「古事記」、「日
本書紀」があるが、これらが編纂されたのは魂志の「東夷伝・倭人の条」の完成から約四
百年も後のことであるからで、また「倭人伝」は三世紀後半の成立であるため、その内容
は卑弥呼女王の晩年三世紀頃の見聞記を中心に書かれたものといえるからである。
「南邪馬壱(邪馬台)国に至る、女王の都する所なり、水行十日、陸行一月。(略)
…七万余戸可り。(中略)
郡自り女王国に至る万二千余里。」
伊都国より南(当時の方位を考慮し修正を加え、東南にあたる)に邪馬台国は存在する
とされること、帯方郡より伊都国への行程が万五百里であり、差し引いた伊都国から邪馬
台国までの距離一千五百里が「水行十日、陸行一月」として妥当であることから、日田付
近は邪馬台国の都とする仮説には何ら不都合はないことが分かる。
以上のほか、日田在住の郷土史家後藤英彦氏や、「日田の宝鏡」の著者木薮正道氏らが、
緻密な研究をもとに、日田=邪馬台国説を主張しておられ、大和説、吉野ヶ里説等と比肩
して遜色がない。さらなる研究によって日田の古代史が明らかにされることが望まれる。
金銀石英象俵竜文鉄鏡(国指定重要文化財)
出典
日田の宝鏡 金銀象倣竜文鉄鏡の謎