土蜘妹伝承
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土蜘妹については『日本書紀』神武(じんむ)天皇即位前紀己未年二月条に、大和国(奈良県)の新城戸畔
(にいきとべ)等の土蜘妹が天皇に帰順せず、天皇に討たれたとあるのが初見である。同書には続けて「又高
尾張邑(たかおはりのむら)に土蜘妹有り、其の為人(ひととなり)身短くして手足長し」とある。特に
『日本書紀』景行紀、および『豊後国風土記』はじめ各国の「風土記」にも度々登場する。その名は、身
体の特徴が蜘妹(くも)に似ていることからくるという説もあるが、津田左右吉はヤマト政権に容易に従
わなかった地方の小首長の卑称であり、「身体短く手足長し」と書かれたり、穴居したり石屋に住んだりし
たなどとされるのも、土蜘妹の名から作りあげられた説話であろうとする(日本古典文学大系版『日本書
紀』上の補注)。
平野邦雄は、これらの土蜘蛛が、多くは内陸の平野、山間、盆地や辺島に居住すること、その名もハギ(剥)、
カ(鹿)、サル(猿)、イ(猪)など動物名になぞらえたものが多いことなど、海岸部の海人系集団と対照的に描
かれていることに注目し、土蜘妹の伝承は、大和王権の支配が内陸の農耕を伴う土豪まで及ばない段階を
反映しているとみている。その時期は国造(くにのみやつこ)制の成立より以前、おそらく5世紀の社会
であろうとしている。注目すべき所見であるが、実際には大和王権が地方にその勢力をのばして行く過程
は、海岸部と内陸部でそれほど差があるとは思えない。大分県でみても、大和王権の支配と直接関係する
と見られる前方後円墳は、5世紀には明らかに日田や直入、大野など内陸部に深く及んでいるのである。
そこで、もう少し詳しくこの伝承のあり方を見てみよう。はじめに記したように土蜘妹伝承は『日本書
紀』神武紀や景行紀のほか、豊後常陸(ひたち)越後摂津日向肥前等の各国風土記に散見するが、特に肥
前豊後両風土記には数多くみられるものである。すなわち『豊後国風土記』では日田郡石井郷の土蜘妹、
同じく日田郡五馬山(いつまやま)の五馬媛(いつまひめ)、直入郡禰疑野(ねぎの)の打(うちさ
る)八田(やた)国摩呂(くにまろ)、大野郡網磯野(あみしの)の小竹鹿奥(しぬかおき)小竹鹿臣
(しぬかおみ)、速見郡の土蜘妹蜘青白等が見える。また『肥前国風土記』には、佐嘉郡佐嘉川上流の大山
田女狭山田女、小城郡の土蜘妹、松浦那賀周里の梅松橿媛(みるかしひめ)、大家島の大身、値嘉島の大
耳 垂耳、杵嶋郡嬢子山の八十女、能美郷の大白 中白 少白、彼杵郡遠来村の土蜘妹、浮穴郷の浮穴沫
媛(うきあなわひめ)、周賀郷の欝比表麻呂(うつひおまろ)等々がみえる。
また『日本書紀』景行紀12年条には、土蜘妹の名こそつけられてないが、ウサの川上に住む鼻垂(はな
たり)、御木川の川上に住む耳垂(みみたり)、高羽川の川上の麻剥(あさはぎ)、そして緑野の川上に住む
土折(つちおり)猪折(いおり)等が、それぞれ天皇に従う首長として登場する。
これらを見てまず気付くことは、これらの土蜘妹が、地方の山間部や離島など、きわめて限定された狭
い地域に住んでいるとされていることである。例えば、日田郡の五馬媛は日田郡の南の方の五馬山に住ん
でいるし、直入郡の打、八田、国摩侶等は直入郡の柏原(かしわばる)郷の南に住んでいる。緑野川上流の土
折、猪折などは、「山川の険しき」をたのんで人民を掠奪すると記されている。彼らは、律令時代の郡や郷
に例えていえば、一つの郡全体を領域とするというようなことはほとんどなく、むしろその辺境の小地域
に住むとされているのである。そしてこれらの土蜘珠の居住地の近くには、日田郡の久津媛(くさつひめ)
や速見郡の速津媛(はやつひめ)のように、大和王権に対し従順で協力的な首長がいる。しかもその地域
の方が地域的には中心部に位置するとみられるのである。したがって土蜘妹伝承の世界は、令制下の一つ
の「郡」ぐらいに相当する地域において、その中心部にすでに大和王権の秩序に編入された在地首長があ
り、周辺にこれとかかわりなく、独自の地域集団を率いる中小の首長層が群立する状況を考えることがで
きると思われる。
こうした状況は当然、古墳時代以降のことを指していると思われる。例えば直入郡の場合でいえば、ま
ず竹田市西部の菅生(すごう)台地にあるセツ森古墳群の前方後円墳の被葬者に象徴されるような在地首
長がある。彼はすでに大和王権の秩序に組み込まれている。『日本書紀』景行紀には、天皇の巡幸にあたり
来田見邑(くたみのむら)に仮宮をおいたとあるが、こうした巡幸の条件整備をした首長とは、このよう
な首長をさすと思われるのである。しかしその周辺の山野の中には、まだまだこのような首長と十分に提
携していない大小の首長たちがいた。そういう首長たちのイメージが土蜘妹伝承に語られていると思われ
る。
出典
インターネット「OBS大分放送」