地名赤岩」

(概要)                                阜
 「矢野家伝」によれば、大山の地を訪れた老翁に七松子の神が、この地について「深谷
の西の瞼山の下に赤石がある。」と答えた事が名前の由来といわれている。大山町の綿打
地区の対岸の通称「赤岩」や、瀬古地区の背後の岩山なども赤い。

(文献)
「矢野県伝によれば、赤石川の語源となった赤石村の由来を次のように述べている。
「大山の地を訪れた老翁は七松子の神にこの地に人が住んでいるか問う。すると松子の神
は、「深谷の西の瞼山の下に赤石がある。石根に火徳があり、民を養うに最適である。」と
答えた。翁は善哉と喜び、松子の神をこの地に寄さしめた。」と記され この家伝を記し
た編者は、「土神をして松子の守りなすという事は、大野老松明神の巫女として奉仕させ
たという事であり、赤石の語は後世の赤石村の要因となり、火徳があるということは、処々
にある硫黄の噴出を指す。」と註している。
 この「深谷の西の瞼山の下に赤石がある。」を、現在の前津江村赤石の位置に照らし合
わせてみれば、「深谷」とは大山川の谷であろうし、その「西の瞼山」とは高塚山であろ
うか。赤石地区は、高塚山の麓に位置する。
「赤石がある」とあるが、赤石が何であるかはここでは述べられていない。単純に「赤
い石」があったというのであれば、大山町の綿打地区の対岸の通称「赤岩」や、瀬古地区
の背後の岩山なども赤い。
 では「火徳があり、民を養うに最適」とはどういうことであろうか。
 「豊後風土記」の「五馬山」の記述には「天武天皇の七年に大地震があり、山や岡が裂
け、此の山一峡が崩れ落ち、温泉が庭々より出た。湯気が盛んに立ちのぼって熱く、飯を
炊くに早く煮えた。」とある。
 このことから「火徳」とは、矢野家伝の編者がいうように「処々にある硫黄の噴出を指
す」のであって、これによって「民を養うに最適」ということは、当時の人々が、温泉を
単に入浴するためのみならず、熱源として利用していたということも想像できる。
参考文献
日田郡の文化財