日田三丘(ひたさんきゆう)(日隈、月隈、星隈)
(概要)
現在はそれぞれ公園として、市民に親しまれている日田三丘は、「湖水に落ちた3つの
流れ星が丘になった」と伝えられている。
(文献)
「矢野家伝」によると、
「日田郡は大きな湖水で、周囲は高い岡や峯で囲まれた人跡未踏の地で、古木におおわれ、
時に鳥の声や狼。猿の喧声が聞こえ、鳥でなければ通うこともできない探秘な所である。
湖水は荷其の形をし、その広さは一二○有余町で、東南方に向かっては二00有余町であ
り、神船を以てしても、時を得なければ渡ることができなかったという。
地神第五代のある夜、三個の大きな流星が湖水に降下した。日ならずして、今度は大き
な鷹が飛来し、朝日の光とともに湖上を飛びながら一声鳴いた。その声は雷電のようで、
天地は忽然として震動した。それは山が鳴ればすなわち谷が応じ、暴風は木の枝を折り、
葉を飛ばし、砂石を空に吹き上げ、波煙は天にかすむようであった。
二声を発すればますます天地をゆるがし、岩石をくだき、草木をなぎ倒した。この時、
猛獣たちは騒々しく岳嶺にかけ登って死をまぬがれようとしたが、高い所から落ちたりし
て悉く死んでしまった。
この鳴動が止まない内に鷹は三声を発した。烈風が吹き荒れ、天雷は波を覆す。山は崩
れて谷を埋め、洪波は白くにごって逆流し空天を衝いた。西。東。南の崖はたちまちに崩
れ、西南の峯もー瞬にして砕かれた。湖水が流れ出した時、大きな龍が現れ、水を追って
崖に登り、岩を穿ったため、瞼嶽は原野となり、原野は谷になった。
これが三岡・八原申七節途となった。大鷹はこの状況をみて、自然と天に登り見えなく
なった。三岡とは日・月。星の三岡で、湖水に落ちた流れ星が岡になったものである。南
の崖に近い所を日隈、北掛こ近い所を月隈、西山に近い所を星隈と名づけた。八原は、震。
巽・離・坤。食・乾・吹。艮の八卦に属す所にあり、悪気を除く。七方に七つの迫道があ
る。これを節途という。」とある。
この日。月・星の三岡が、日田盆地に残る日隈山、月隈山、星隈山であるといわれてい
る。現在はそれぞれ亀山公園、月隈令園、星隈公園として、市民に親しまれている0
地質学的には日隈山は会所山などと同じく、湖の底に埋もれていた岩山が洗い出された
ものであり、これに対し月隈山や星隈山は慈眼山と同じく、もとあった台地などが河川の
侵蝕作用によって、洗い流されたり孤立したりして、さらに低い丘になったものであると
いわれている。
出典
日田郡の文化財 日田の歴史と史蹟