老松神社(中川原)
(概要)
津江地方に老松社が勧請されたのは、同地域が安楽寺嶺であったことから、領有の荘園
に天満宮の分霊を祭る、老松大明神は森林の神の性格を持つので、山の民の信仰と結びつ
きやすい、さらに雷除けの天神信仰なども加わったなどといわれている。
(文献)
本社の縁起によると、億芽三年(1071)の相撲の節会で、大蔵永季(ながすえ)芙歳荒巻は強者ぷ童の摘著
と対決することになる。途中一女に会うが、彼女は”大軍府天満老松の神”と名のり、小
冠者の弱点を教える。喜んだ永季は相撲に勝ったならば天満宮を勧請すると心中に期し、
勝利を得る。しかし、帰国後日ならずして逝去。その後、永季の子宗季は父の遺言により
保安四年(1222)に、現地に天満天神を勧請する」とある。
さて、この老松の神=老松大明神”であるが、天満天神の従者で、”至る所毎に松の
種を蒔くという。これは森林の神の性格を有するといわれ日田郡津江地方を中心に祭
られており、俗に津江七社と総杯している。
津江地方に老松社が勧請された理由としては、同地域が安楽寺(大事府天満宮の禅宮寺)
簡であったことから、領有の荘園に天満宮の分霊を祭る、老松大明神は森林の神の性格を
持つので、山の民の信仰と結びつきやすい、さらに雷除けの天神信仰なども加わったなど
といわれている。
ところで本社については、昔津江庄の老松天満宮の御神体が大洪水で流れ下り、大山庄
万々金の神ケ薮というところに深着、それを御神体として勧請したとか、宮原(中津江村)
の宮園老松社の旧跡にあつた松の大木で老松様を刻み津江地方を中心に七か所に示巳った
が、余った一体は谷に捨てた。その一体は大山に流れつき女の人に拾われて示巳られた、な
どの伝承が残っている。
また、現在合示巳している歳出神社の縁起には、松翁(老松神)の松杖を立てたところ一
夜にして森林になったとか、辰巳(南東)の方向にある森で年の初めの祭を行ったところ、
山の神が皆出てしまったのでここに松翁を祀ったなどと記されており、森林の神としての
信仰があったことをうかがわせる。このほか鎌倉時代から室町時代にかけての棟札の記録
(総元二千六百年記念『日田郡町村誌』)があり、当社の歴史の古さを物語っている。
出典
大山町史