高平神社
(概要) 。
享保十一年九月、天候不良などで農作物の収穫も少なく諸氏は困窮した。そこで天照大
神を勧請し、天下泰平・国家安康を祈るとともに五穀豊鏡・子孫繁栄を祈願したのが本社
の始まりといわれる。
(文献)
筆檻十一年(1726)九月、天候不良などで農作物の収穫も少なく諸氏は困窮した。
そこで天照大神を勧請し、天下泰平・国家安康を祈るとともに五穀豊餞・子孫繁栄を祈願
したのが本社の始まりという。
ところで、八代将軍吉宗が幕藩体制安定強化のために行った享保の改革の一つに、定免
制の実施がある。過去数か年の収穫量の平均を出し、年貢額を定め凶作の年も変更しない
というものである。日田においても、享保十年(1725)代官増田太兵衛のときに定免
制が実施される。本社の天照大神の勧請も天候不良だけでなく、凶作時の定免実施に多大
な要因があるとも考えられる。
めいわ
明和二年(1765)には境内を拡張し、社殿の再建を行っている。明治六年村社に列
し、大正十一年には韓肖供進指定神社許可となった。
出典
大山町史